皆様からエッセイ

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 ここには皆様のエッセイのコーナーです。 皆様がここへの掲示を希望されるものを載せていきます。

 12/4 2013

From Dr.Kana ドクター佳奈より 先月11月京都国際会館で開催されました「ダライ・ラマ法王猊下とよしもとばななさんの講演会」の感想エッセイをいただきました。 

下記のリンクから 上記の講演会youtubeから見ることができます。 http://www.youtube.com/watch?v=KZl6DJC_Pe8   His Holiness talk at Kyoto International Conference Center – YouTube

2013.11.23(土); 宗教家と芸術家の視点から ダライラマ14×よしもとばなな氏 2013.11 

ドクター佳奈さんの感想

 20131124日,京都国際会館で開催された法王ダライ・ラマ14世とよしもとばななさんの講演会「世界を自由にするための方法〜宗教家と芸術家の視点から〜」に行ってきました.

ものすごく個人的ではありますが,レポート&感想を書きました.

当日,メモでもしていれば良かったのですが,その場の雰囲気を感じることに精一杯で,帰ってから思いおこして書いた内容です.     なので,お話内容そっくりそのままじゃないところがたくさんあります.

お許しくださいね.      私からみた,おふたりの講演会です.      

〜講演の様子〜

ダライ・ラマ法王さまとよしもとばななさんは,お2人でお互いがお互いをエスコートするように,「手をつないで   という表現がぴったりな登場をされました.

私は2階席だったので表情まで見ることはできなかったのですが(残念!),きっと笑顔なのだろうなと思えるような,なんだか楽しく和やかな雰囲気で登場され,会場からお2人に温かい拍手が注がれました.

ダライ・ラマ法王さまは小豆色と山吹色の袈裟に身を包まれ,ばななさんは黒のロングスカートに,模様の入ったコバルトブルーの,しっかりめのストールという衣装での登場でした.舞台の真ん中に2人がけのソファー(まさにカップルシート!)があり,それにお2人が腰をかけられ,そちらに座ったままご講演されました.

 〜よしもとばななさんのお話〜     「自分の講演スタイルについて」   誰かからの質問を受ける形ではない場合は,文章を読み上げるスタイルをとっている.なぜなら,自分は文章を書くのが仕事で,皆の前で話をするのが仕事ではないから.読み上げている朗読みたいなものじゃないかと思われる方もいるかもしれないけれど,これが私の誠意です.と.

仕事とは,自分の持っている能力で,他人や世界を幸せにすること.

 私の誠意です.とおっしゃったときのばななさんが,本当にかっこよくて,しびれました.自然と涙が流れました.そして,時には笑いをまじえながらのお話は,内容がすっと心に入ってくる素敵なものでした.さすがです!

 テーマⅠ「ちいさい意地悪について」

ちいさい意地悪とは,やった本人に責任が伴わない.

倫理的にも,職務的にも問題がない,安全なところから,確実に少し相手が傷つくような行動をすること.

 例①:大失恋した友達が話を聞いて欲しそうにしているとき.

自分は忙しくて時間が取れないし,きっと長くなるからめんどくさいなぁ.という思いから,無言で忙しいアピールをし,その気持ちにきづかないふりをする.

例②:新幹線の車掌さん.

あるとき,ばななさんが寝不足と貧血から誰もいなかったとなりの席に横になって爆睡してしまった(連れがいて,車掌さんはそれを知っている).

その隣の席の人が,乗って来たときの対応.

連れに伝えて起こしてもらったり,隣の人が来たその瞬間に声をかけて起こしたりせずに,後から「大丈夫ですか!体調が悪いのですか!」とやや乱暴に揺り起こして,「本当は隣に人がいたのですが,もう手続きをして他の席に替わってもらいました!」と伝え,ただ去っていってしまう.

 このようなこと.

もやっと嫌な気持ちを相手にぶつけてしまう場面.

もちろん,仕事やいろいろなストレスがあるかもしれないけれど,それを他人に向けてちいさく発散すること.

 自分は今なら,失恋して話を聞いてほしい友人がいれば「今は忙しいけど,いついつなら時間があるよ」ということができる.

 ちいさいことかもしれないけれど,自分が変わっていく.

 そして,世界が確実に変わっていく.

Kana: ちいさい意地悪,自分もたくさんしているなと気づきます.意地悪で邪悪な自分をみて,あぁやだやだと直視できなくなったり,自分の存在を消してしまいたくなったりするけれど.もっともっと厳密に,自分の意地悪にきづいていかなければ.怒りや憤り,不安や不満だって自分の中にあるものとして,美しい自分でかき消さず,浮かび上がるものはあまりおさえこまずに.まず気づかないとやめられないように思います.

そして,意地悪できる瞬間というのは同時に,温かさをやりとりできる瞬間でもあるなと思いました.失恋した友達が失恋したことを一瞬忘れちゃうような,体調の悪い人がなんだか少しだけ良くなっちゃうような,そんな対応ができる自分でいたいです.もちろん,それだってちいさな,たいしたことないことという程度に.その瞬間瞬間,真剣勝負で,意地悪ではない方を選択できるように,日々鍛錬していきたいです.

 簡単なことのようで難しく感じてしまいますが,日々行動あるのみ!ですよね.

テーマⅡ「お父さんと自分が1つの繰り返しを乗り越えた時の話」

お父さんのお母さんが亡くなったとき,最後にお父さんはお母さんに手をぎゅっと強く握られた.その瞬間お父さんは,振り払いたい!という気持ちに駆られた.そうはしなかったけれど.そのとき初めて,小さいときに母にかまってもらえなかったことを気にしていたことに気がついた.親が亡くなるというのはとても心細くおそろしいこと.でも,そこから逃げないで向き合って良かった.と,こんな話をばななさんは幼いときにお父さんから聞いていた.その時は,ふーんと思っただけだった.

そして,お父さんが入院し,病室ではいつもマッサージをしていたけれど,手に力が入ることは少なかった.それがある日,お父さんが尋常ではない強さで自分の手を握ってきた.例えるなら,捕まえた魚が逃げないようにするくらい強く.

その時,自分は,こころから少しも嫌でなかった.

それは,何十年かけてお父さんと自分で1つのことを乗り越えた瞬間だった.

 そんな風に育ててもらったこと,お父さんの子供で1つも嫌だなんておもったことがなかったと堂々と言えること.

その繰り返しを次に持ち越さなかったこと.

お父さんが社会的に成し遂げたことにくらべれば,ちいさいことかも知れないけれど,大きな一歩であるように思う.

Kana: ばななさんとお父さんの話は,私は涙なしには聞けません.

ばななさんの描く,お父さんについてのエッセイも,どんなに明るいエピソードであったとしても,いつも泣けてきてしまいます.(あと,藤子F不二雄先生について書いてあるものも.なぜか…).

吉本隆明さんのご著書は,亡くなられてから初めて読みました.あぁ,なんてもったいないことをしたのだろう.と強く思ったことを思い出します.

 こんなに素敵な,日本のお父さんみたいな,分かりやすくこの世界の不思議を話してくださる方がいらっしゃったなんて.そしてそれを知らずに生きてきたなんて.聞いてみたいことはたくさんたくさんありますが,幸運なことに多くのご著書が残されているので,そこから学びたいと思います.

 そしてこのお話からもまた,教えて頂いたように思います.

前の話から続いて,「ちいさいけれどおおきなこと」がテーマのこのお話たち,まさに,この講演のタイトルどおり「方法」というものを,具体的に示して頂いているように思います.今,1つの人生を生きている私たちにとって,真剣にやるべきこと,そしてできることは,ちいさいことにみえるようなことを丁寧にやることしかないような気がします.

この話を聞いて思い浮かんだことが,2つあります.

 1つは雪山の斜面.

 人生での全ての行動は,雪山に転がすちいさな雪玉のようなもので,最初に転がしたのがどんなにちいさな雪玉でも,ころころと斜面を転がっていくうちに自然とおおきくなっていくように,世界に広がっていくのではないか.

 それが誠意でも,悪意でも同じように.

 そして,おおきくなればなるほど,あまり大きさが変わってないようにみえるのに,確実におおきくなっていくところなんかも似ているのでは.

 だからこそ,気合いを入れて,幸せな気持ちで,最初の小さな雪玉をつくることって大切で,しかも確実にできることで,時には大きくなって上から転がってきた雪玉を自分をも押しつぶす大きさになる前にしっかり踏ん張って受け止めたら,時間はかかってもあたたかさで溶かすこともできるなぁ.なんて,そんなことを考えました.

もう1つは赤ちゃんの着替えです.

 私の姉に赤ちゃんが生まれて,ときどきお手伝いをすることがあります.9ヶ月の甥っ子の着替えはなかなか大変です.

 着替えが嫌いな彼は,もちろん協力することもないし,寒くなってきたこの頃は分厚い長袖を着なければなりません.袖の反対側から手を通して,腕をいれていく.頭も反対から手をとおしてかぶせる.などなど,不慣れな私にとっては,これがだんだん面倒くさくなります.

 そして,ちょっと横着をして,グイッと引っ張って通すと,結果的には腕も通るし,彼も別に痛そうにはしていないけれど,少し無理な曲げ方をしちゃったなと思うことがあります.そんな時,少しではあるが,確実に,彼の本質を傷つけてしまったなという感覚があります.そんなに重たい話ではなく.

 ばななさんのお話を聞いてあとに甥っ子を着替えさせていたとき,でもこれって,赤ちゃんがとても弱くてかわいくて守るべきものだって思っているから,すぐに感覚でとらえることができるだけで,このようなことを私は普段からいろんな人にしている.ということに気がつきました.

自分も含め,ひとの心というか,大切にしているところって,赤ちゃんと同じようなものなのではないかという気がしてきたのです.表面的には大人になって,たくさんの強さを手に入れているように見えても,傷つきやすいところはそのままじゃないかなと.

自分を含め人に対し,面倒くさいとか雑な気持ちで接することで,それらを傷つけている実感がわいてきました.これからは,どんな人でもそれぞれの人の内側には,そういう赤ちゃんのような柔らかい部分がある!ということを忘れないでおこうと思いました.

「人について」

一人一人の人間は人類という生命体を構成する細胞だと考えると良いのではないか.脳の細胞の人,おしりの細胞の人,手や足の細胞の人などなど.

大犯罪者なんかは,がん細胞のような異質の細胞として.

それぞれがそれぞれの役割を果たさなければ,人類という生命体がいきていくことができない.もちろん,ほかの細胞に憧れるところ,でも,ほかの細胞にはなれないところも似ている.

 そして,その細胞をつなぎ止める唯一の共通点は「魂」である.

自分は考えるのが仕事なので,脳の細胞じゃないかと思う.手や足など,動きにつながる部分をうらやましく思ったりもする.

 

Kana: 自分じゃない何かになりたいという気持ちは,私の中にもいつもあります.

周りをみていいなとおもったり,比較したり,その比較にとても重きを置いたり.そしてそれは変わりたいという気持ちになり,だめな自分とはおさらばしたいみたいな気持ちにもなります.

 でも,どんどん自分になっていくこと,愛を持って自分を客観的に認識し,自分の役割を果たすこと.それにつきるのだなと.

 魂でつながっているいわれると,不思議な安心感があります.

 しかもそれって,別にいつも頭がすっきりしていて,迷うことなんてなくて,というものではなくって,いつもちょっと悶々としていて,答えのないようなものをじわじわ解き明かしていくようなものだよなと思えました.単調なことの繰り返しのときだってあるけど,でもキラッと光る何かがあるのを観て,でももちろん,暗さも同時に観てというか.

よし!悶々と頑張ろう!

 

〜ダライ・ラマ法王さまのお話〜

ダライ・ラマ法王さまが英語で話されるお話を,通訳の方があとからまとめて日本語で訳してくださるというスタイルでした.

私はなんとか英語を聞き取ろうと頑張ったためか,記憶さえも文章になっていません.読みにくかったらごめんなさい.

まず,ばななさんのお話を受けて.

もっと,結婚について,家庭での喧嘩や子育ての話など聞きたかったなぁ.

Happyなこともあれば,Sadなこともある.

 それは人生の自然.Nature of human life.

 動物も死への恐怖がある.

sensory(皮膚感覚的)なものは動物も持っている.

人間はmental(知性,精神的)なものがあり,考えること・想像する・高めることができる.他者の背景,気持ち,性格などなど.夢の中でも.

中国に十何年も収監され,拷問を受けた方とお話しする機会があった.

 どんなことが辛かったですか?という質問をした際,命の危険を感じたなどという言葉が聞かれると思っていた.

しかし,その方がおっしゃったのは「拷問をしてくる相手への慈悲の心を失ってしまうことがこわかった

 ということ.十何年も拷問を受けても,他者への(さらには自分を拷問する相手への)慈悲の心を持ち続けることができた.

 人は徐々に年を取る.髪が減るかわりに,経験が増える.

 自分は,胆石で胆のうをとる手術を受けていて,完全な肉体とは呼べない.

 白内障の手術をしていて,眼鏡もしているから,二重のガラス構造だ.

知り合いの僧侶の方の言葉の引用.

 「何かに取り組む時,それを解決する手段があるのであれば,ただ努力すれば良い.もし手段がないのであれば,それを考えても仕方がないので,これもまた,ただ受け止めれば良いと」

自分の幅が広がったと感じること.

それは祖国を失ったこと.

 Fomalでいる必要がなくなったし,どう思われるかに気を使う必要がなくなった.そのことで,自分は考え方が広がった.

 

もしあのままラサにいたら,もっと偉そうで中身の薄っぺらい人間になっていたかもしれない.現実的な考え方,現実的.論理的.

若い人には英語を勉強してほしい.視野を広げてほしい.

好き嫌いに関わらず,今は英語が国際語.

言語がバリアになることが多いので,勉強するとよい.

拙くても恥ずかしがる必要はない.

中国人には中国人の英語のアクセントが,英語圏であってもそれぞれのアクセントがある.気にしなくても良い.

自分だってBrokenな英語を話す.

直接話すことができることはとても素晴らしいこと.

Kana: ダライ・ラマ法王さまについて,私はほとんど知識がなくお顔を存じ上げているくらいでした.私なんかが語れないくらい素晴らしい方だと思いますが,私の個人的な感想を書きます.

まず,笑い声がとても印象的です.ドラえもんの笑い方に少し似ているような感じの茶目っ気たっぷりです.

自分の髪が少なくなった話から,隣に座っている学長さんやご友人にもその話をふって大爆笑.他にもいろいろユーモアを交えたお話をされて,そのたびに朗らかな笑いをされます.ご講演の始まりには,出演者の座る席を気にされたり,友人になったという方を壇上に招いたり,お話の途中には,急に隣に座ってらっしゃるばななさんの腕や手を握ったり.

 この講演の帰り道,目をつぶると白く明るい光の中に,オーロラのようなピンク・緑・紫が混じったような光が見える気がしました.

 その美しさが,ダライ・ラマ法王さまの印象として,私の中に残っています.

お話はとてもシンプルで分かりやすく淡々となさるのですが,説得力がすごいというかなんというか.おっしゃっていることと,なんのずれもなく存在していらっしゃること.そのお姿をみることができただけでも,とてもとても心に響くものがありました.

 そして,英語の勉強も頑張らなければなと心に誓ったのでした.

 以上です〜.

10/19 2013   ◆ まずこのコーナー投稿の第一弾のかたは ドクター佳奈です。耳鼻科の美しいお医者さまです。 英語のお勉強のしかたも分け合ってくださっています。↓↓

マギさんへ

先日も、楽しくためになるレッスンをありがとうございました。

おススメ頂いたサイモン・シネック氏の、サミュエル・ピエール・ラングレーとライト兄弟、キング牧師などを例にとった講義の動画を観ました。

英語が聞き取れないところはたくさんありましたが、とても興味深い動画でした。

キング牧師がI have a dream.ではなく、I have a plan.と言っていたら?

というのは、面白い投げかけですよね。

この話に少し関係あるかなと思うのですが、私はいつも「お金は2番目」という考え方をするように心がけています。

なぜなら、何かをする時というのは、やはり、損得勘定がからむことが少なくありません。

 それは仕事であっても、ちょっとしたことでも何でもです。

だからこそ、「なぜそれするのか」というところの1番目には、

 自分の成長のため。であったり、なにか人の助けになるかもしれないから。であったり、

そういった自分の心と身体に気持ちの良い考えを置いておきたいなと思っています。

さらにいえば、「少なくとも自分とみんなのために。」です。

1番にお金を置くということは、

 自分の信念という場所にお金をもってくるということになりますもんね。

それは何か違うなと感じます。

でもやっぱり、お金が欲しいなって思っているのも本音だし、(名声や人からの評価などもお金に準じます)

だから心配しなくたって、エゴのある自分には、お金が欲しいという気持ちは控えているのだから、それを1番に持ってくる必要はないなぁと。

自分の中にお金が欲しいとか、得をしたいという「欲」があることをきちんと認識するためというのと、

実は1番がお金になっているんじゃないの?という自分に対するチェックも兼ねています。

 お金は2番目という気持ちで、欲をきちんと認識して、横に置いておくだけで、

よりクリアな考えが自分の中で分かりやすくなって、1番に置いておくぞ。という決意がわいてくる感じがします(単純な私…)

 

人は言語を越えたコミュニケーションを常に行っていて、

 素晴らしいもの(英単語はちょっと忘れちゃいましたが)を知らず知らずのうちにやりとりする機能が脳に備わっているというのは、

とても納得がいく考えですよね。

 なにかプロジェクトがある時、それがお金を1番目にして動いているときは、どこかで曲がってきてしまう気がします。

 そして、それがお金最優先で動いているかどうか、何を信じているかどうか、というのは、

応援してくれるさまざまな存在に、言葉を介さなくても通じている訳だから、いつかはうまくいかなくなるのは当然なからくりですね。

ただ、お金がはこんできてくれるものも確かにあります。

 好きな人と美味しいものを食べることもできるし、旅行に行くことも、マギさんのレッスンを受けることもできます。

だけど、私の自己チェックでは〇〇するためにお金が欲しい。っていうのも、1番目にはしないことにしています。

もし〇〇したい!があって、それが欲から来ていない考えなのであれば、

 お金と一緒にしなくてもよい部分にまで掘り下げられるように思うからです。

だからお金は2番目です。

 

もちろん、3番や4番でも、もちろん最後にする方がいても良いのです。私だってそういうときもあります。

だけどたいていの場合、私にとっては「お金は2番目」という認識がとてもちょうどいい気がするのです。

なーんて、書くのは簡単ですが、

いつも自己チェックをすり抜けたり、自己チェックに引っかかって反省したりの繰り返しです〜。

 

長くなりましたが、マギさんの紹介してくださった動画からの感想でした☆

 マギさん達に文章をほめてもらったので、その気になってちょこっと書いてみました。

 楽しんで頂ければ嬉しいです。

紹介いただいた動画は1日1つずつ、英語の勉強のために観るようにします!

 今日も引き続き、良い1日になりますように。

 ではまた。

 吉岡佳奈